講演と討論の配信映像・自動字幕をもとに、AGI Hubが日本語で要約したものです。逐語訳ではありません。
2026年10月17日、IMF・世界銀行の年次総会(バンコク)で、恒例のPer Jacobsson財団講演が開かれました。62年続くこの講演は、中央銀行総裁や財務相が登壇してきた場です。今年、壇上に立ったのはAnthropic共同創業者のJack Clark氏でした。題は「Inside the Event Horizon(事象の地平線の内側で):なぜ誰もがAIの進歩を真剣に受け止めるべきか」です。AIを作る側が経済政策の中心の場で「シンギュラリティはもう始まった」と語り、インドと中国の経済学者がそれに受け手の側から反論しました。 この記事では、講演と討論の要点をAGI Hubがまとめ、AI安全性の観点から読みどころを整理します。

補足:この記事の作り方と、動画の情報
- 動画:Per Jacobsson Foundation Lecture: Inside the Event Horizon(IMF公式YouTube、1時間21分)
- イベント情報:IMFの年次総会ページ
- 内容は配信映像と英語の自動字幕から、AGI Hubが日本語で要約しました。逐語訳ではありません。「」で示した発言は要旨を訳したものです。正確な言い回しは動画で確かめてください。
登壇した人たち

Jack Clark
Anthropic共同創業者(講演者)
- 主張
- シンギュラリティは今年始まった。各国は備え、開発のペースは抑えるべきだ
元はデータセンターを取材する記者でした。2016年にOpenAIへ移り、その後Anthropicを共同で創業しています。
写真:IMF公式YouTubeの配信映像から

Yan Shen
北京大学 国家発展研究院 教授(討論者)
- 主張
- 中国ではAIの普及は速いが、企業の利益や家計の所得にはまだ表れていない
北京大学デジタル金融研究院の執行院長も務めています。
写真:IMF公式YouTubeの配信映像から

V. Anantha Nageswaran
インド政府 首席経済顧問(討論者)
- 主張
- 楽観が外れたときに請求書を払うのは、政府と家計だ
労働力の豊富な国の立場から、AIを「受け取る側」の見方を示しました。
写真:IMF公式YouTubeの配信映像から

Raghuram Rajan
Per Jacobsson財団議長、シカゴ大学教授(司会)
- 経歴
- 元IMFチーフエコノミスト、元インド準備銀行総裁
2005年のジャクソンホール会議で、金融イノベーションが世界をより危険にしたと警告したことで知られます。
写真:IMF公式YouTubeの配信映像から
開会の挨拶では、IMF副専務理事のNigel Clarke氏が、創業5年未満の企業の共同創業者が登壇するのは62年の歴史で初めてだと認めました。そのうえで、能力、アラインメント、普及、分配、税制といった課題は、技術者だけでも政策担当者だけでも答えられないと述べ、両者を同じ場に集めた狙いを説明しています。
Jack Clark氏の講演:「シンギュラリティは始まった」
1証拠として挙げたこと
Clark氏はまず、自分はこれまで「AIはいつか国家安全保障と経済の軌道を変え、自分自身を作れるようになる」と言い続けてきたと振り返りました。そのうえで、その時はもう来ており、AIはすでに自らの開発に貢献していると述べました。Vernor Vingeが1993年に予言したシンギュラリティについては、今年それが始まったという説得力のある証拠が得られたと言います。
根拠に挙げたのは、2026年に入ってAIが最先端の科学を担い始めたことです。
AIが最先端の科学に入った例(Clark氏の講演から)
数学
ナビエ–ストークスのミレニアム問題、ヤコビアン予想、エルデシュの未解決問題で、AIが解の核心となる洞察を出した例がある
生物
ウイルスをゼロから設計し、新薬の候補を見つけた。AIが大部分を設計した薬がすでに臨床試験に入っている
ロボティクス
実験装置を自律的に動かせるようになり、電池や燃料電池などの実験を自動化しつつある
どれも同じ一つの汎用モデルで起きていることだと強調し、Clark氏はこれを「仮想の博学者」と呼びました。試験の点数も急に伸びています。Clark氏によると、Humanity's Last Examは2025年1月の8%から今週時点で67.7%(Claude Opus 5.5)に、FrontierMathは2%から94%になりました。
印象的な例として紹介したのが、世界の物理学者が自分の未発表の研究から集めた50問のテストです。モデルが「専門家の用意した正解のほうが間違っている」と言い張り、調べ直すと実際に専門家の計算に誤りが見つかりました。最終的にGPT-6 Astraは50問中49問を正解しています。Clark氏はこれを、弟子が師を超える物語の場面になぞらえました。
最先端の科学ができるなら、AIは創造性という最後の壁の一つを越えつつある。その力はAI研究そのものにも及ぶ。
2経済への影響
Clark氏は自分を例に問いかけました。「自分は一人しかおらず、ここまで来るのに40年かかった。それを何千人も同時に動かせて、すぐに作れたらどうなるか」。研究者を育てるには10〜15年かかりますが、AIは計算資源さえあれば何人でもすぐに用意できます。人間の科学者はそれぞれ、数百から数千の専門家を指揮する立場になるという見立てです。
Anthropicの経済チームは、AIが幅広い仕事を自律的にこなすという前提でシミュレーションを行っています。そのうちの一つのモデルでは、米国のGDPが2030年に44兆ドルに達しうるといいます。Clark氏は突飛に聞こえることを認めたうえで、技術の改善が続けばこうなると述べました。
3各国への提案
Clark氏はこの10年、各国政府に電力とデータセンターへの投資を勧めてきましたが、聞き入れた国は少なかったと振り返ります。その結果、データセンターは米国・中国・中東に集中し、供給網は逼迫しています。
次の段階は、AIが実験とロボットを通じて物理世界に広がることだといいます。世界の科学者はユネスコの推計で約1,000万人です。それが10億の仮想科学者を率いる時代になれば、実験設備も検査施設も足りなくなります。新薬の候補が大量に出ても試せるのが一握りなら意味がないので、発見を研究室から臨床・工場・現場へ移す仕組みを今から作るべきだと提案しました。原材料を供給する途上国にとっては、一足飛びに追いつく機会にもなると述べています。
4選択と自制
講演の後半で、Clark氏は危険の側にも踏み込みました。AIで科学ができるなら、生物兵器やサイバー兵器のような科学の悪用にも道が開きます。そのうえで、三つの選択を挙げました。
- AIをどこに使うか。 生物研究には人間による最も厳しい監督と透明性が必要です。AI研究そのものについても、AI主導の研究をどこまで監督するかをAnthropicのようなラボが決めなければならないと述べました。慎重に進めなければ、技術の制御を失うおそれがあるとし、ラボを縛るルールも必要になるだろうとしています。
- AIの成果をどこまで理解すべきか。 数学ではすでに、AIの出した成果を人間が解読しています。数年のうちに、AIが自分に合った実験装置を発明するようになり、それを人間が理解すべきかが問われると述べました。
- 根本的に違う世界を想像すること。 十代のころはマルサス的な破局を恐れていたが、太陽光発電や医療の進歩で見通しが変わるのを見てきた、と語りました。
結論として、この技術と開発企業のために「普通でない、真剣なルール」を作り、人間の最も難しく気高い性質である自制を発揮すべきだと訴えました。インフラは整えつつ、技術そのものの開発はゆっくり慎重に進め、ペースを抑えるか別の方法で制御する、という主張です。結びにはCarl Saganの『Pale Blue Dot』を引き、セーガンが数十万年かけて人類が賢くなると考えたのに対し、私たちに残された時間は「10年もない」と述べました。
討論者の反論:受け取る側から
作る側の見方と、受け取る側の見方
作る側(Clark氏)
受け取る側(討論者2人)
AIの効果
作る側(Clark氏)科学が加速し、新しい産業と大きな富が生まれる
受け取る側(討論者2人)普及は速いが、企業の利益や家計の所得にはまだ表れていない
雇用
作る側(Clark氏)新しい産業が雇用を生む可能性はあるが、深刻な打撃も起こりうる
受け取る側(討論者2人)若手の採用が減り、将来の専門家が育たなくなる
安全性
作る側(Clark氏)自制と国際ルールが必要
受け取る側(討論者2人)自制しても見返りがない構造で、2008年以前の銀行と同じだ
国の備え
作る側(Clark氏)実験設備・ロボット・供給網に投資する
受け取る側(討論者2人)最前線にいないことを生かし、人にしかできない仕事の技能に投資する
5Yan Shen氏:中国の「パラドックス」
Shen氏は、AI投資が持続的な成長につながるまでの段階を順に検証しました。中国の生成AI利用者は2026年上半期に7億人に達し、普及は速いといいます。ただ、北京大学の研究では、AIの利用で生産性は平均すると上がるものの、もともと生産性の高い企業ほど得をしていました。上場企業の利益率(ROA・ROE)にはまだ良い効果が見られません。理由として、企業が自社に合うAIを分かっていないこと、競合が使うから使う「劇場効果」、技術の更新が速く元を取る前に陳腐化することを挙げています。
家計では、AIにさらされやすい職業の世帯主の労働所得が下がり、借金を抱える割合が上がっていました。AIで供給は安くなっても所得が伸びず、需要が増えないため、デフレ圧力を強めかねないというのがShen氏の結論です。一方で、医師不足を補う医療プラットフォームのように、医療の範囲を広げ費用を下げている例も紹介しました。
6Nageswaran氏:五つのリスク
Nageswaran氏は、自分は技術に反対しているのではなく、人間の主体性を奪う技術とリスクを隠す金融に反対しているのだと前置きしました。そのうえで、Clark氏の話は作る側の見方であり、自分は労働力の豊富な国という受け取る側から話すと述べ、五つのリスクを挙げています。
Nageswaran氏が挙げた五つのリスク
1キャリアの最初の一段
若手の定型業務をAIが担い、企業が若手を雇わなくなる。将来AIの仕事を検証する専門家が育たない
2人間の能力
AIに頼るほど考える力が落ちる。MITメディアラボの小規模な研究を引いた
3安全性
減速したラボは競争と評価額を失い、誰も自制に対価を払わない
4資金繰り
データセンター投資の多くを簿外の借入で賄い、出資と計算契約が企業間で循環している
5財政
AIが成功すれば労働分配率が下がって税収が減り、失敗すれば生産性を見込んだ財政予測が狂う
安全性のリスクについては、自制しても誰も対価を払わない構造は「2008年以前の銀行と同じだ」と指摘しました。処方箋としては、介護・看護・技能職のように人がその場にいる必要のある仕事の価値が上がるとして、職業資格の地位を学位並みに引き上げることを提案しています。ほかに、AIによる生産性向上はデータに表れるまで財政予測に入れないこと、上場企業に新卒採用と研修の開示を求めること、安全性の試験をラボ任せにしないことを挙げました。結びには、AIは強い馬を一頭増やすが、御者がいなければ行きたい所へは行けない、というウパニシャッドの比喩を引いています。
パネル討論:「政策の議論には締め切りがある」
7若者の雇用
司会のRajan氏が若者の雇用について尋ねると、Clark氏は三つの点を挙げました。一つ目に、Anthropicが新卒者1,000人の給与を負担してNPOやNGOに配置する取り組みを始めたこと。二つ目に、AIにさらされやすい職業の雇用データを各国と共有していること。三つ目に、自分たちのモデルでも深刻な雇用への打撃が予測されており、それを率直に伝えることが講演の目的の一つだったことです。Nageswaran氏が提案した採用と研修の開示については、義務化すべきだと賛成しました。
8人類は規制できずに滅びるのか
Rajan氏は、各国が他国に先を越されることを恐れて規制をためらう状況を指して、「人類は、絶滅よりも他の人間を恐れるせいで滅びるのか」と問いました。Clark氏は「滅びはしない」と答えています。人は危機が来るまで難しいことを避けがちだが、Anthropicは危機そのものを避けたいので、見えていることを話しているといいます。私たちは規制された建物で働き、規制された車で移動し、規制された食品を食べているのに、AIの規制だけが難問のように扱われる、と指摘しました。安全性試験、透明性、開示の基準を当てはめ、リスクに値段を付ければよいというのがClark氏の答えです。
Shen氏は、AIエージェントが金融市場のリスクを高めうるとして、政治色の最も薄い金融分野から国際協力を始めることを提案しました。Nageswaran氏は、AIは少数の国家が握っていた核技術と違い、すでに広く出回っていると指摘しました。そのうえで、致命的ではないが全員の目を覚ますほど深刻な事故が起き、技術の一部を止める議論が始まることを望むと述べています。
9AIに手綱を渡すのか
最後にRajan氏は、AIが人間よりはるかに有能になったら、どこかで手綱を渡すことになるのかと尋ねました。Clark氏は、これは目の前にある本当の選択だと答え、Anthropic CEOのDario Amodei氏が公開記事で、システムに許す知能の上限を設けることにも触れたと紹介しました。この話題は公の場で議論できる範囲の端にあるかもしれないが、まさにこの問いが示していることだと述べています。今はまだ制御できているが、能力は私たちの直感よりはるかに速く伸びており、行動できる期間は数年しかないといいます。哲学者David Chalmers氏の「哲学には締め切りができた」という言葉になぞらえ、「政策の議論にも締め切りがある」と締めくくりました。
会場からは、子どもにどんな学位を勧めるかという質問も出ました。Clark氏は暗記型の学位は強い圧力を受けると述べ、歴史や哲学のように人間の価値観を考える学びの重要性が増すと答えています。
AGI Hubから見た読みどころ
AGI Hubでは、再帰的自己改善や知能爆発、AIリスクについての解説と議論を公開しています。


